津波による壊滅的な被害をうけて

福島県被災地からの報告 その2

南相馬市、相馬市、新地町は、津波による被害により、沿岸部は壊滅的な状態でした。海に面する低地の建物の多くが流失し、ほとんどが全壊の状態で、新地駅は全壊、線路も流され、復旧の見通しもたっていません。
新地町では、100人ぐらいの方が亡くなり、未だに、10人の方が行方不明です。バスから見る景色は、瓦礫と海水が流れ込んだ水田や、時々、津波で流されたボートが、水田に横たわっていたり、破壊された住宅だけが目の前に広がり、津波の威力の恐ろしさを感じました。

役所の近くの建物に、「思い出倉庫」という建物がありました。皆でのぞいてみると、津波で流されたアルバム、写真や思い出の品が展示され、持ち主が現れるまで保管する場所として、ボランティアの人たちによって運営されています。

南相馬市では、桜井市長とお目にかかり、現状について説明を受けました。
桜井市長は、世田谷区の保坂区長ともご縁があり、9月上旬、世田谷区で開かれるシンポジウムに参加されるそうです。
南相馬市は、現在、「復興ビジョン」の策定に取り組んでおり、あと2回の有職者会議を経て、8月上旬頃に決定する予定になっています。
南相馬市は、地震、津波の被害だけではなく、原発事故による被害も大きく、7万人の住民が計画避難を行い、現在、4万人が地域に戻り始めましたが、避難した人の中には、連絡もとれない人もおり、被災で避難している住民が安心して暮らすことのできるまちの再生は、これからです。
「国の動きを待っていては遅い。」と、桜井市長は言っていましたが、どちらかというと、国からの指示待ちの姿勢が多い自治体の首長や職員、地域の実情から、主体的に判断していくことが重要なのではないかと思いました。

「復興ということを、すべてひとくくりで言って欲しくない。」初日にお会いした、福島大学の今井照先生の言葉を思い出します。地域ごとに多様な面があり、地域によって実情は違うし、自治体の力も違う・・・だから、画一的な復興計画ではなく、ゆっくりまちの復興を進め、地域社会の再構築を行っていく必要があると思います。