「行政の機能も失われかけた南三陸町」

日本列島が猛暑に襲われた8月9日、生活者ネットワークと社民党の世田谷区議団とともに、津波の被害が甚大だった南三陸町を訪れました。当日は、応援に入っている世田谷区職員の案内で、被災地や仮庁舎、世田谷区の現地事務所などを回りました。

東北新幹線くりこま高原駅から車で1時間あまり、海が近づいてくると突然、津波で襲われた街の光景が目の前に広がります。建物が形をととどめているのは、テレビでも映し出された病院と防災庁舎など、いくつかの建物だけで、あとは跡形もありません。震災からすでに5ヶ月近くが経過していても、瓦礫や倒れた電柱があちこちに残されており、その被害の大きさに驚かされました。
津波により亡くなられた方は、1000人以上。その中には、町の職員の方達もいます。津波が襲った時、防災庁舎の鉄骨の階段につかまり、助かった人達もいたそうです。無残な形で残っている防災庁舎には、献花台が設けられており、私達も亡くなられた人達のご冥福を祈り、献花しました。

現在、役所はスポーツ施設のある場所に移転し、仮庁舎で業務が行われていました。全国からの支援が、ここに寄せられていますが、世田谷区の職員も交代で20人派遣されています。世田谷区の現地事務所は、高台にある「平成の森」の施設の一角に設けられていました。
ここに派遣される職員は、すべて自主的に自ら手をあげた人達ばかりです。
地域を回りながら、被災地の被害の大きさに呆然とすることも多い毎日ですが、被災地の人達の「ありがとう」という言葉に、救われ元気が沸いてくる日々だと、職員の人は話していました。
がんばろう!南三陸町の人達、がんばろう!世田谷区の職員