宮城県は、人的被害、建物被害も、被災3県の中でも最も大きく、死者9,399人、行方不明者2,365人(8月19日現在)です。被災から5ヶ月が過ぎ、現状は地域によって違いがあるものの、復興にむけた支援は、まだまだこれからも必要です。
宮城県では、「宮城県震災復興計画」の最終案がまとまりました。震災以前の状態へ回復させるという、「復旧」だけにとどまらず、これからの県民生活のあり方を見据えて、県の農林水産業などのあり方、公共施設、防災施設の整備などを、抜本的に再構築するまちづくりを計画しています。
しかし、国の方針が決まらない中で、予算の確保など課題も多く、壊滅的な被害からの復興モデルとなる宮城の再生には、多くの時間がかかるのではないかと思います。
2日間の視察は、仙台市のベッドタウンとなっていた名取市の閖上地区、宮城県の中でもっとも被害の多かった石巻市、行政まで壊滅的な被害をうけた南三陸町と回りました。
その中でもやはり、痛ましい状況だった南三陸町は忘れられません。視察の当日は、副町長が出迎えて下さり、3月11日の16メートルの大津波が来るまでの、生々しい状況を説明して下さいました。防災庁舎、志津川病院の壊れた建物を見るたびに、その津波の恐ろしさを感じます。
現在、瓦礫の処理は、一次仮置き場に撤去し、分別の上、概ね3年以内に、大規模な二次仮置き場に移動することになっていますが、この処理にも多額の費用がかかることや、受け入れてもらえる処理場が決定していない問題もあります。
また、地盤沈下が激しく、大潮の時は、浸水してしまう地域もあるそうです。
東京都から、これまで人的、物的支援を行ってきましたが、今後どのような支援が出来るのか。今回の視察を通して考えていきたいと思います。