「チェルノブイリの祈り」終えて
1月は、大変寒く雪が舞い落ちる東京の気候でしたが、2月になると暖かい日が続いています。1月30日の土曜日、世田谷生活者ネットワークでは、「チェルノブイリの祈り」と題して、神田香織さんの講談が行われました。
チェルノブイリの原発事故から30年、あの当時は、日本にも影響があるのではないかと心配されました。
原発事故による食品の放射能汚染を契機に、1989年東京都へ「食品安全条例」を制定することを求めて、市民が立ち上がり55万筆の署名を集め、都への直接請求を行いました。残念ながら条例は否決されましたが、この直接請求をきっかけに、都の食品安全行政は大きく前進しています。
その事を当日は、前参議院議員大河原雅子さんと神田香織さんとの対談の中で、お話がされ、当時、都議会議員であった大河原さんは、「汚染茶」当時採取したお茶を持ちながら、これまでの活動を振り返っていました。
2011年3月の福島原発事故からもうすぐ5年が経過しようとしています。福島の汚染された地域では、まだ、住み慣れた地域に帰ろうとしても帰ることが出来ない。現状は厳しいものです。
これまで、若者たちや被災地の人達が、「原発反対」と、声をあげ首相官邸前での抗議を続けてきました。その声を受けて民主党政権では、原発に依存しない方向でのロードマップをかかげたはずが、安倍政権担った途端、原発再稼動へと舵を切り始めました。
神田香織さんの講談の中では、チェルノブイリ原発事故で犠牲になった市民の怒りや悲しみが伝わってきました。いつもいつの時代でも犠牲になるのは、住民であり市民です。私達は、その事を忘れないで、次の時代に語りついで行かなくてはいけないと思います。